月曜日, 4月 14, 2008

学芸大学駅・都立大学駅という駅名に疑問あり

東横線「学芸大学駅」は1927年開業時の駅名は「碑文谷駅」だった。これは当時の地名が荏原郡碑衾村大字碑文谷字鷹番に由来している。その後、1936年に東京府青山師範学校が世田谷区下馬に移転したことで、「青山師範駅」に改称。これ以降、校名が変更されるごとに1943年に「第一師範駅」に、そして1952年に「学芸大学駅」と駅名変更された。

しかし、東京学芸大学は1964年に小金井市に完全移転をして、現在は学芸大学附属高校があるだけで大学は存在しない。なのに、大学が移転して40年以上経つのに駅名は「学芸大学駅」のままである。少し異常なような気がするし、なにか厚かましいような気がする。

同じように隣の「都立大学駅」も東京都立大学は1991年に八王子に移転して、現在は私の母校である都立大学附属高校があるだけである。しかし、その都立大学にしろ附属高校にしろ2011年には共にその校名が消えることになっているので、いずれ有名無実なおかしな駅名になりそうである。

「都立大学駅」は1927年開業時の駅名は「柿の木坂駅」だった。これは当時の地名が荏原郡碑衾村大字衾字柿ノ木坂だったからである。その後、1931年に近くに府立高校が開校したことによって「府立高等前駅」に、翌年には「前」をとって「府立高等駅」に改称された。そして、1943年に「都立高校駅」に、1952年に「都立大学駅」に駅名変更された。

このように東横線にはおかしな駅名が2つも存在している。この状態を危惧してであろうか、東急電鉄も1999年に学芸大学駅および都立大学駅の駅名変更に関する住民アンケートを行ったが、結果は下記のようなものであった。

             学芸大学駅 都立大学駅
駅名変更を可とする方   549票   630票
駅名変更を否とする方   934票   436票
        合計   1483票  1066票

この結果、可とする方の比率が3分の2に達しなかったため、両駅とも駅名の変更は行わないことになりました。(1999.7.1開票)

http://home3.highway.ne.jp/yoshiki/ekimei.htm

つまり、駅名変更に賛成は学芸大学で37%(549票)、都立大学では59%(630票)であった。このような結果になった主だった理由は、商店街および不動産屋の強い反対があったと言われている。というのも、学芸大学および都立大学は商店街名やマンション名に使用されていて、地域住民に定着しているということからである。また、大学という知的な響きをもった名称を駅名から消したくないという考えも多いようである。しかし、実は多くの人はこの駅名が子々孫々の代まで良いとは思ってはいない。

東急電鉄はこれまでに、東横線「多摩川駅」や田園都市線「二子玉川駅」など何度も駅名を変更している。それなのに「学芸大学駅」と「都立大学駅」は既成化しようとしている。前述の通り、2011年には「都立大学駅」は完全に有名無実化する。この機会に再度、駅名変更を考えてはどうだろうか。「学芸大学駅」を「元学芸大学駅」に、「都立大学駅」を「旧都立大学駅」にするとか、地名に戻すことで「学芸大学駅」を「碑文谷鷹番駅」に、「都立大学駅」を「八雲柿の木坂駅」にするとか、東急電鉄も住民も真剣に考えるべきである。

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