月曜日, 1月 31, 2011

鷹番の 昔の校歌 いま何処

下にある歌詞は私が十数年前に、いやン十年前に卒業した鷹番小学校の校歌である。作詞は小松清作、作曲は内藤濯。私はこの校歌が結構好きだったので、今でも歌うことができる。だが、この校歌、どこか不思議というか変ではないだろうか。

歌詞のなかに地名である鷹番や目黒、また東京の小学校校歌によく使われる「富士の嶺」といった常套句がまったくないのである。それはなぜかと言うと・・・。(↓へ)

     この道は
     野辺より坂へ 坂より峰へ
     ひとすじに のぼりゆく道    
     いざいざ友よ、つくづくと
     見よ、この道のはてしなさ。

     この道は
     子供ごころの 花と咲けよと
     うらうらと 照りひかる道
     いざいざ友よ、しみじみと、
     見よ、咲く花の美しさ。

     この道は
     空晴れわたり 風そよそよと
     吹きかよう 国へゆく道
     いざいざ友よ、よりつどい、
     見よ、その国のなごやかさ。

鷹番小学校は1932年(昭和7年)1月に、現在の目黒区立碑(いしぶみ)小学校の分校「荏原郡碑尋常高等小学校分教場」として開校した。そして、その年の7月に「荏原郡鷹番尋常小学校」として独立開校しているその後校歌が作られたのだが、その校歌がどうやら国粋的なものだったようで、戦後上記のような校歌に変わったのである。このように、戦後校歌を変えた学校は全国で相当数あった。しかしながら、歴史教育や郷土文化のためにも戦前の校歌を単に国粋的軍国的といって葬り去るだけでなく、なんらかの形で遺すべきではないだろうか。母校の昔の校歌は何処へいってしまったのだろうか。いつの日か調べてみたい。

金曜日, 1月 28, 2011

「若者は仕事を選びすぎですよ」

行きつけの指圧マッサージ店のおばさんが、久しぶりに薮から棒に「就職率が60何パーセントなんて、学生は仕事選びすぎなんじゃないでしょうか」と聞いてきた。

「私もそう思いますよ」
「中小企業とか求人しているのに、みんな大企業ばかりに・・・」

と言いながら、おばさんの肘や指先が例によって背中の張っている個所に容赦なく圧力をかけていく。

「私なんか、50人以上の会社にいたことなんかありませんよ、ウウウ〜」
「世間には200〜300人以下でも優秀な会社いっぱいありますよね」
「あります、あります。製造業なんかいっぱいあります」
「丁稚奉公で叩き上げた会社だってありますよね」
「あります、あります。おばさん、良いこといいますね、フウウ〜」
「なんで、みんな大企業とか公務員になりたがるんでしょうかね」
「安定しているというか、体面じゃないんですか」
「タイメン?」
「世間に対する体裁というか、メンツですね、ウヒィェ〜」
「そんなことどうでもいいじゃないですか!」
「どうでもいいですね、ウウ・・・」
「日本は中小企業の活力でここまで成長したんじゃないですか!」
「おっしゃる通りです」
「昔は職業選択の自由なんて、言ってられなかったんです。とにかく汗水たらして働いたんですよ。それなのに今の若い人たちは仕事選びすぎですよ」
「本当ですね。だから、フリーターとかブータローが増えるんです」
「これじゃ、お先真っ暗です。私はいくつまで働かなきゃならないんでしょうかねぇ」
「いくつまでも、お好きなときまで働いてください、ウウウ〜」
「それまで、小松さんもお客さんで来てくださいね」
「はい、はい、ウウウウウ・・・」

最後はおばさんの営業の言葉に誘いこまれてしまったが、年配で仕事をしている人からすれば、若者は仕事を選び過ぎと思うのは当然のことであろう。

マッサージのおばさんとヤマハ音楽教室
http://k21komatsu.blogspot.com/2009/11/blog-post_14.html

水曜日, 1月 26, 2011

佐藤賢一『新徴組』(新潮社刊)を読む

新選組の名を知らない人は誰もいないが、新徴組の名を知っている人はほとんどいない。新選組が京都市中警護を行ったの対して、新徴組は江戸市中警護で活躍し、不逞の輩(浪人やカブキものなど)を取り締り、江戸庶民に非常に感謝された。

新徴組とは新選組と同じく、清河八郎らが作った浪士組を母体としていて、1862年(文久2年)に結成された江戸幕府による主に江戸市中を警備する組織である。屯所は江戸の本所(東京都墨田区)に設置されていたが、1864年(元治元年)からは庄内藩御預かりとなった。大政奉還後に解散するものの、多くの隊士は家族と共に庄内藩へ移った。そして、庄内藩に入った新徴組隊士たちは湯田川温泉の旅館や民家37軒に分宿。1867年(慶応4年)に庄内藩第四大隊に配置され、戊辰戦争で新政府軍と戦い連戦連勝の活躍をした。

さて、本のレビューである。主人公は沖田総司の義兄、沖田林太郎。江戸にありがならも京都にいる病弱な弟・総司のことを想いながらも新徴組の任務をこなしていく。もう一人の主人公は庄内藩の重臣(庄内藩第二大隊・大隊長)の酒井吉之丞。庄内藩きっての切れ者といわれるが、外見も性格も至極穏やかだが、いざ戦いとなると鬼と化す。

物語は第1部が京都と江戸、第2部が庄内を舞台にしている。江戸では市中取締だけでなく狼藉を働いていた浪士を匿った薩摩藩邸焼討ちの先鋒を担うなど、江戸では泣く子もだまる存在となっていく新徴組の姿と沖田林太郎の家族を大事にする生き様を描く。第2部は仙米会庄(仙台藩、米沢藩、会津藩、庄内藩)などが結成した奥羽列藩同盟の主軸として新政府軍と戦い、新政府軍から「鬼玄蕃」と怖れられた酒井吉之丞の活躍などが描かれる。

幕末の歴史小説というとそのほとんどが薩長土肥の新政府軍から書かれたものばかりだが、この小説は仙米会庄の奥羽列藩同盟の視点から描かれていて大変興味深い。また、小説には沖田総司、土方歳三や西郷隆盛らしき人物なども登場して娯楽性にも富んでいる。ただ、佐藤賢一の文章は司馬遼太郎、藤沢周平、吉村昭らに比べるとクセがあり、慣れるのに時間がかかった。

それにしても、酒井吉之丞は実に魅力的な人物である。藤沢周平に彼の生涯を描いてほしかった。

月曜日, 1月 24, 2011

2月の沖縄は熱いぞ!

あと1週間もすれば2月である。その2月に日本でもっと温かいところといえば沖縄だが、今年の沖縄は温かいどころではなく熱くなりそうである。

沖縄の2月といえばプロ野球の春季キャンプ。今年から読売ジャイアンツも沖縄で1週間ほどキャンプを行うことになり、国内10球団、韓国4球団が集まることにあり、その経済効果が期待されている。なかでも、斎藤佑樹が入団した北海道日本ハムファイターズがキャンプをはる名護市では、関連グッズの開発を検討していたり、マスコミや旅行会社から問い合わせも相次ぎ、その対応におわれているという。かなりのフィーバーぶりが予想されそうである。

私が行く寿司屋の主人(大の野球好き)は沖縄出身なのだが、その主人と先日こんな会話をした。

「2月の連休に甥っ子の結婚式のために沖縄に帰るんだけど、ホテルがもう大変なことになっているんです」
「斎藤佑樹効果?」
「そうみたい。レンタカーの予約とかも凄いらしいんです」
「名護だと空港から車じゃないと行けないですもんね。で、お好きなジャイアンツも来るし・・・」
「ジャイアンツは20日から1週間だけです。ジャイアンツがキャンプをする新しい球場は空港と目と鼻の先で、モノレールでひと駅です」
「じゃあ、歩いても行ける?」
「行ける、行ける、行けますよ」
「でも、ジャイアンツがいないときに帰るのは残念ですね」
「ぜんぜん〜。ジャイアンツなんかより今はファイターズです。斎藤くんにダルビッシュ、それに中田翔もいる。今年の沖縄は熱いですよ」(笑)
「じゃあ、結婚式だけの帰省じゃないんだ」
「もちろん、結婚式は1日、あと2日はキャンプ巡りです」

東京にいる沖縄人もすでに熱くなっている。

金曜日, 1月 21, 2011

鷹狩りと鷹番

昨年放送された『ブラタモリ』の「鷹狩り」の回で、冒頭に私の母校である目黒区立鷹番小学校が出てきた。鷹番とは江戸時代に鷹狩りのための役人屋敷「鷹番屋敷」があったことに由来している地名である。このことは、小学生のときに耳にタコができるぐらい聞かされた。(笑)その鷹番屋敷の役目といえば、鷹狩りが行われるときの段取りや手配などは無論のことだが、普段は近場の鳥獣類の乱獲禁止の監視、また不逞浪士の身元調査などを行っていた。

鷹狩りとは、本来はその名の通り鷹による狩りであったが、武士が政治を行うようになってからは、狩りというよりも領内視察兼軍事訓練としての意味合いが強くなっていた。鷹狩りが制度化されたのは江戸時代になってからだが、幕府は江戸近隣に鷹場をもうけ、ここで鷹の飼養と訓練をすると共に鷹匠も暮らすようになった。そうした場所の役場が鷹番屋敷だった。ただ、鷹場をを直接管理していたのは鳥見役所であり、目黒では上目黒村にあり、その広さは56,000坪もあったという。そして、この鳥見役所は鷹場の管理だけでなく江戸を守るための諜報機関的な役割も担っていた。

江戸時代、目黒は目黒川を境に東側は大名屋敷があったり、目黒不動尊への休憩所などがあったが、川を境に西側はこれといった何もない農村だった。そのためか、目黒のなかでも16万坪の敷地を擁した「駒場野」(現・東京大学教養学部)、現在の目黒本町五丁目六丁目、原町、洗足一帯の「碑文谷原」、野鴨がいっぱい生存していたと言われる「碑文谷池」(現在の碑文谷公園弁天池)などが、鷹狩りの格好の場所としてたびたび利用されたと伝えられる。

3代将軍家光は鷹狩りを好み、寛永から正保年間にかけて、碑文谷原へ1回、目黒辺りへ6回という記録が残されている。しかしながら、鷹狩りも5代将軍綱吉が出した生類憐れみの令により、7代将軍家継までは目黒では行われなかった。そして、8代将軍吉宗の時代の享保元年(1716年)から再び鷹狩りが復活して、江戸の鷹場は葛西、岩渕、戸田、中野、品川、目黒の『江戸廻り六筋御鷹場』に分けられた。なかでも目黒筋の鷹場は江戸城から近かったために、頻繁に利用されたようである。そして、鷹狩りのたびに田畑は踏み荒らされ、鷹狩りは農民泣かせであったことはいうまでもない。

◎鷹場法度

1. 道路や橋など壊れたら鳥見役の指示に従い良く普請(整備)すること。
2. 鳥見役の案内なくしては鷹匠であっても鷹を放ってはならない。
3. 鳥を追い払ってはならないこと。
4. 餌差しの観察を確認すること。
5. 鷹匠、餌差しの他は鳥をとってはならないこと。
6. 不審者は村内におかず、悪事の相談しているものがいたらすぐに申し出ること。
7. 寺社や野田に新しい屋敷の建築は認めないこと。

◎鷹番小学校内にある立札には下記のように書かれている。

江戸時代、目黒周辺には代々の徳川将軍がしばしば鷹狩りに来ていました。鷹狩りは放鷹といい、飼い慣らした鷹を拳にすえ、山野に放って野鳥を落としたり捕らえさせたりする行事で、将軍が放鷹を行う場所を鷹場(たかば)、御拳場(おこぶしば)、御留場(おとめば)などといいました。この放鷹は本来、武の鍛錬と娯楽を兼ねた行事でしたが、鷹狩りに託して領内の民情などをさぐろうとした傾向もありました。8代将軍吉宗の頃(1716年〜)には江戸周辺5里(約20Km)の範囲に6筋(※葛西、岩渕、戸田、中野、品川、目黒)が設けられました。目黒筋の御鷹場もその一つで、鷹場組合、鳥見役所が設置され、鷹匠や鳥見の役などがおかれて、鷹の飼養、訓練や鷹場の管理にあたりました。また、鷹場の各所に鷹番を置いて鷹場への立ち入りを禁じた高札をたてて村の連帯責任で見晴らせたりしました。このあたりは、目黒筋の鷹番が居住していた所で、その高札も保存されています。鷹番と言う地名もそんな時代の歴史を語るものです。(平成3年3月 目黒区教育委員会)

月曜日, 1月 17, 2011

「おまわりさん」はどこからやって来たか

今日、おまわりさんといえば警察官のことである。ただ、その語源がどこから来たかを知る人は少ない。一般的にはおまわりさんとは、江戸町奉行所の町方同心の定廻り、臨時廻り、隠密廻りなどに由来していると言われているが、一概にそうとはいい切れない。というのも、こうした町方同心に対して一般庶民が尊敬や親しみの念をこめて「おまわりさん」と言ったかどうかは疑問がある。

実際に「おまわりさん」という言葉が明らかに使われるようになったのは江戸末期からと思われる。江戸末期、京都市中を取り締まっていたのは、誰もが知っている会津藩お預かりの「新撰組」。一方、江戸市中を取り締まっていたのは、今の人はその名をほとんど知らない庄内藩お預かりの「新徴組」であった。その「新徴組」を江戸庶民は下記のように歌った。

♪酒井左衛門様お国はどこよ
出羽の庄内鶴ヶ岡
酒井なければお江戸は立たぬ
御回りさんには泣く子も黙る

新徴組は組長である肝煎を別にして、5人で1隊、5隊で1組(計26人)、計6組の組織だった。そして、そのうちの2組が毎日江戸府内(新宿、板橋、千住などを含む約10里)を巡回して歩き、不逞な武士などを取り締まり、上記のような歌や「カタバミはウワバミより怖い」(カタバミは酒井家の家紋)と江戸庶民から言われていた。

金曜日, 1月 14, 2011

映画『最後の忠臣蔵』を観る

【注意】この文章は映画のネタがバレバレですので、これから観ようと思っている人はなるべく読まないようにお願いします。




真田広之、渡辺謙と日本を代表する俳優がメジャー(アメリカ映画)へ行ってしまった今日、日本を代表する俳優といえば役所広司であり佐藤浩市なのだろう。その二人が出演する『最後の忠臣蔵』だが、配給はワーナーブラザースで、この二人がメジャーへ移籍するのはそう遠くないのかもしれない。

本題である。あらすじは下記の通りであるが、間違ってもこれが実際の話(ノンフィクション)だったと思わないようにしていただきたい。

寺坂吉右衛門(佐藤浩市)は討ち入り後、大石内蔵助(片岡仁左衛門)の命をうけて、後世に真実を伝えることと遺族を援助する目的で泉岳寺へ向かう隊列から外れる。一方、瀬尾孫左衛門(役所広司)は討入り前夜に同じく大石の命をうけて、生まれてくる内蔵助の子供を守る使命のため逐電する。
そして、16年が経ち二人は再会する。孫左衛門は吉右衛門に自分の使命を明かそうとしない。しかし、ゆう(安田成美)などのおかけで美しく成長した内蔵助の忘れ形見可音(桜庭ななみ)は、豪商・茶屋四郎次郎(笈田ヨシ)の嫡男・修一郎(山本耕史)に見初められ、その素性が次第に明かされていき、可音は修一郎と結ばれる。
祝言の日、輿入れの供は孫左衛門ひとりだけだったが、進藤源四郎(伊武雅刀)の計らいで吉右衛門が、そして元赤穂藩の家臣たちが花嫁行列に加わり、茶屋四郎次郎の家に嫁ぐことになる。だが、孫左衛門は祝言の宴には参加することはなかった・・・・。

非常によく出来たストーリーである。見事な日本人の心をくすぐる話にも仕立てあげてある。また、挿入されている人形浄瑠璃「曾根崎心中」も効果的で、演出もこれといって奇をてらったものはなく、感情移入されやすいようにオーソドックスな映像で撮られている。また、キャスティングもほぼパーフェックトといってもよく、誰もがそつのない演技をしている。正直、涙なくしては観られない映画である。名作といわれてもおかしくない映画である。

でも、私は納得がいかない。あの結末はあまりにも日本人的すぎる。なんで祝言の当日に死を選ぶことができるのだろうか。残された可音やゆうの立場はどうなるのだろうか。死を選んだことで内蔵助や可留(可音の亡母)への忠義が果たされたというのだろうか。内蔵助の命は生きて生きつづけよ、という命ではなかったのではないか。

日本人=サムライ=死=切腹というあまりにも安易な図式の海外配給を意識して作られている映画であった。

木曜日, 1月 13, 2011

タイガーマスク現象(運動)に思う

児童擁護施設などに「タイガーマスク」の主人公・伊達直人などを名乗りランドセルなどをプレゼントする現象(運動)が全国展開になっている。

そこで、タイガーマスク現象の根底は何かを少し考えてみた。

「タイガーマスク」は1968年1月号から1971年53号まで、『ぼくら』や『週刊少年マガジン』に連載された梶原一騎原作、辻なおき作画のマンガである。そして、このマンガは連載と同時期である1969年10月2日から1971年9月30日まで、日本テレビ系でアニメとしても放送された。主人公・タイガーマスク(伊達直人)は孤児院出身のプロレスラーである。

残念ながら私は「タイガーマスク」のマンガもアニメも観たことがない。それゆえに、伊達直人という主人公の名を知らなかった。というのも、私は1968年から1971年はすでに中学生・高校生になっていて、マンガを卒業していた。つまり、当時の時代背景を考えると「タイガーマスク」に夢中になった世代は、私より少し下の現在は50歳前後の人たちで、おそらく最初に前橋の児童擁護施設にランドセルをプレゼントした人はこの年代の人に違いない。そして、この人は児童擁護施設出身者もしくは関係者(奥さんが出身とか)で、現在はある程度社会的地位をえた人で、恩返しのつもりで送ったのではないだろうか。

このタイガーマスクがマスコミに取り上げられたことによって、各地にタイガーマスクが次々登場して社会現象となった。これは経済的に余裕ができたタイガーマスク世代が、相次いで寄付行為をしていった結果なのかもしれない。それと、時代背景に子供手当のことがあるのではないかと思われる。

児童擁護施設にあずけられている子供に対して、どのような形で子供手当が支給されているのか知らないが、それに対しての疑問があったのかもしれない。両親のどちからが生きていれば子供手当は支給されるが、はたしてその手当が実際に子供に届いているかどうかは疑問である。そして、両親がいない子供には子供手当が支給されているのだろうか・・・。

現在は報道を観て感銘をうけて「タイガーマスク現象」に参加している人が多いようだが、これはちょっと危険な感じがする。というのも、確かに寄付行為や募金行為が「タイガーマスク世代」などに伝わっていくのはいいことである。しかし、マスコミに取り上げられなければ行わないというのもおかしな話である。世の中には児童擁護施設だけでなく、まだまだお金に困っているところはいっぱいあるのだ。「タイガーマスク現象」に便乗して、マスコミに取り上げらたく勝手な名前をつける輩もいないだろうか。

そして、今回の「タイガーマスク現象」で懸念されるのが、「タイガーマスク募金」とかいって街頭募金を始めるヤツが出たり、詐欺行為をするヤツが現れることである。マスコミは多分にパフォーマンス的な「タイガーマスク現象」の報道は止めるべきである。

火曜日, 1月 11, 2011

朝ドラの舞台は一大観光スポット

先日の大雪で漁船が転覆したり沈没するなど大きな被害をうけた鳥取県境港市だが、昨年同市の「水木しげるロード」を訪れた観光客が過去最高の約372万4千人になったと、市観光協会が発表した。これまでは2008年の172万1千人だったので一挙に2倍以上である。いうまでもなく、昨年放送されたNHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』効果によるものである。

ドラマによる観光客が増えるのは顕著だ。ドラマの舞台となって観光客が増えた先駆けは『北の国から』の富良野と言われているが、大河ドラマの舞台となった土地も、必ず前年より観光客が激増するという。『龍馬伝』の舞台となった高知や長崎は、しばらくの間龍馬ブーム・龍馬景気に湧くことだろう。

それにしても、朝ドラの舞台となった土地で、観光客が前年比の倍増というのは凄い経済効果である。朝ドラはすでに全都道府県がドラマの舞台となっているが、今回の境港市の発表は地方自治体による誘致合戦に拍車をかけそうである。

水木しげるロードに372万人 連ドラ効果で過去最高
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010601000329.html

写真:JR境港駅前に水木しげる氏とキャラクターたちの銅像

日曜日, 1月 09, 2011

今年の抱負

松の内も過ぎてしまったが、遅ればせながら今年の抱負を書いておこう。それにしても、この「今年の抱負」というやつは、誰もが「お酒を控えて健康的な生活を送り減量する」と書くらしい。ただ、それを実践した人はほとんどいない・・・。

・健康に気をつけて、美味しいお酒と美味しい料理を食べる
・松井秀喜が入団したオークランド・アスレチックスの試合を観にいく
・競馬の収支を一昨年のようにプラスにする
・株の収益をなんとか倍増させる
・ジムでの運動時間をこれまでより10分程度長くする
・長編ものの小説を10冊以上読む
・オペラを観にいく回数を増やす
・精神年齢および肉体年齢を5歳若返らせる

ということで、今年こそ病気や怪我のない1年にしたいと思います。

アメリカの「今年の抱負」ベスト10が発表、1位は?
http://rocketnews24.com/?p=63948

木曜日, 1月 06, 2011

初夢ならぬ初恋の人との夢

初夢ではないが久しぶりに良い夢をみた。私は基本的に夢をみても起きた後にはすぐに忘れてしまう。それは良い夢だろうが悪い夢だろうが同じで、たいがい起きて20〜30分もすれば夢は雲散している。ところが、年に2〜3回はしっかりと記憶に残るような夢をみる。今回の夢がそれに相当するのかどうか解らないが、忘れたくないので書き留めておくことにする。

赤々と光る釜の前で店員たちが忙しそうにピザを焼いている。何処か解らないがおそらくアメリカのピザハウス。初恋の人とビールを飲んでいた。そこへ元メジャーリーガーの野茂英雄がやってきて、いきなりドジャース時代の背番号16のTシャツを取り出す。彼はそれにサインをして初恋の人にプレゼントする。彼女は「ありがとうございます」と言ったが、野茂は「Have a good time」と言って去っていく。呆気に取られた私と彼女が顔を見合わせたときに、夢から醒めた。

火曜日, 1月 04, 2011

年明け早々オジサンたちの会話

年明け早々ジムの風呂場でのオジサンたちの会話。

客A「裸で失礼しますが、あけましておめでとうございます」
客B「あけましておめでとうございます」
客A「毎年のことですけど、フルチンでの“あけまして”はいいですねぇ」
客C「どうしてですか」
客A「開放的というか、裸のつきあいというか」
客D「女性の風呂場でもフルチンで挨拶しているのでしょうかねぇ」
客A「女性はフルチンでなくフル○ンでしょう」
客B「それは失礼ですよ。フル○ンでなくフルパイでしょう」
客C「フルパイはないですよ。もうハンパイでは」
客B「うちのはタレパイですよ」
客D「リアルですねぇ」(笑)

新年から猥談に花咲いたオジサンたちでした。

月曜日, 1月 03, 2011

初夢・2011年無責任予想

・TPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加表明
・中国バブル経済崩壊の兆し
・円高が一時的に1ドル=77〜78円台
・金価格1グラム4500円近くに、原油価格再び1バーレル=100ドル台に
・200万円台の電気自動車が発売される
・忘れたころにやってくる、日本のどこかかで火山が大爆発
・ノーベル賞で2〜3人の日本人がまた受賞
・大混戦のパリーグはオリックスが優勝
・松井秀喜がアスレチックスでまさかの大活躍
・大相撲で久しぶりの日本人大関誕生

2011年、民主党政権はTPPへの参加表明を行うだろう。経済では中国のバブル経済が崩壊の兆しを見せていき、中国投資は一気にしぼみ、TPPのこともあり東南アジアや南米への投資が拡大する。一方で、世界経済は今年も低迷続きで、金、石油といったものの価格が上がっていくと考えられる。ただ、日本経済はエコブームが続き、夏ごろまでに200万台の電気自動車が発売されたりしてして復調の兆しを見せ、日経平均は13000円前後まで回復すると予想する。

自然現象では普賢岳や三宅島のような火山の大爆発がそろそろ起きるような気がする。気象では昨年のような猛暑はない、と予想したい。科学では今年も日本人ノーベル賞受賞者が2〜3人出ると思われる。スポーツはとにかく野球が面白そうな年になりそうだ。芸能界は相変わらす薬物、喧嘩、不倫で明け暮れるでしょう。

土曜日, 1月 01, 2011

あけましておめでとうございます

西日本の日本海側を中心に大雪となっているようですが、東京は穏やかな年明けとなりました。年末にひいてしまった鼻風邪をまだ少し引きずっている状態ですが、今朝は美味しくおせちとお雑煮を食べることができました。
今年は卯年。世間ではピョンピョン跳ねる年になればと言っていますが、私としてはバニーガールに恵まれる年になればいいなと思っています。昨年は尿路結石という人生最大の痛みを体験しましたが、今年はクエン酸と水を多く摂りながら、バニーガールとお酒を飲めたらと思っています。あいもかわらず「持っている」性分です。(笑)

それでは、本年もよろしくお願いいたします。