月曜日, 9月 30, 2013

「潮騒のメモリー」は80年代アイドルとアイドル歌謡への愛とオマージュがいっぱい

NHK連続テレビ小説『あまちゃん』が終わった。それにしても、主題歌ともいうべき「潮騒のメモリー」にはドラマの伏線がいろいろ隠されていた。ドラマが終わって改めて脚本の宮藤官九郎の謎解きの面白さをちょっと味わっている。

「潮騒のメモリー」の歌詞が三島由紀夫の小説『潮騒』が原点になっているのは間違いないだろう。冒頭に出てくる「♪来てよ その火を 飛び越えて」という歌詞は、小説のハイライトシーンであり、歌島の監的哨で主人公の二人(初江と新治)が焚き火にあたりながら見つめ合い、そして抱き合う場面を連想させる。クドカンがこの有名小説を読んでいないわけはないだろう。

この『潮騒』は過去に5回も映画されているので、小説を読んでいなくてもこのシーンを知っている人は多いと思う。『潮騒』が最初に映画化されたのは1954年で、青山京子(現・小林旭夫人)&久保明というコンビで監督は谷口千吉。製作はゴジラ映画でお馴染みの田中友幸だった。次に映画化されたのは1964年で、主演は吉永小百合&浜田光夫という当時の日活の黄金コンビ(監督:森永健次郎)。3回目の映画化は1971年で、監督の森谷司郎は主演に小野里みどり&朝比奈逸人という無名の新人を起用した。第4作目が1975年封切りの山口百恵&三浦友和コンビ(監督:西河克己)で、おそらくこの映画がもっとも有名だろう。ただ、宮藤官九郎は1970年生まれなので、この映画をその時点では観てはいないだろう。そして、第5作目は1985年に堀ちえみ&鶴見辰吾(監督:小谷承靖)で映画化されている。

「♪来てよ その火を 飛び越えて」に続く、「♪砂に書いた アイ・ミス・ユー」という歌詞はおそらくパットブーンの「砂に書いた ラブレター」を念頭に「アイ・ミス・ユー」という80年代にちょっと流行ったフレーズを入れたように思える。

この冒頭の歌詞以降はご存知のように、ストーリーといろいろとリンクさせている。なかでも最終週で「♪三途の川の マーメイド 友だち少ない マーメイド」を薬師丸ひろ子に「♪3代前から マーメイド 親譲りの マーメイド」と歌わさせたのは珠玉な置き換えであった。またそれに続く「♪マーメイド 好きよ 嫌いよ」は松田聖子の『小麦色のマーメイド』の「♪好きよ 嫌いよ」を意識しているのではないだろうか。

他にも書きたいことはあるがそれは「あまラー」と呼ばれる人たちにまかせることにしよう。それにしても、この「潮騒のメモリー」の歌詞には宮藤官九郎の80年代アイドルおよびアイドル歌謡への愛とオマージュ(尊敬と敬意)がいっぱいである。

金曜日, 9月 27, 2013

新・国立競技場建設計画決定は疑問だらけ

昨日も書いたが私は新・国立競技場の建設計画を注視している。そして、それを調べていくうちにこの計画がいかに疑問が多いかということが徐々に解ってきた。

新・国立競技場の建設計画を決定したのは「国立競技場将来構想有識者会議」という機関。この会議は14人の委員で構成されているが、この顔ぶれがどうみてもおかしい。政界から森喜朗元首相、猪瀬直樹東京都知事、遠藤利明自民党衆議院議員など。スポーツ界からは竹田恒和日本オリンピック委員会会長、小倉純二サッカー協会名誉会長など。メンバーのなかで建築関係の専門家は安藤忠雄ただ一人。この安藤にしても東日本大震災復興構想会議の議長代理を務めるなど、どちらかといえば役所に都合のいい御用建築家だ。

こんな政府にご都合主義なメンバーが決定した作品なのであるから、最終候補作のなかでもっとも建設費と維持費がかかりそうで、なおかつ景観美観を損なうザハ・ハディドのデザインに決まったのだろう。こうした委員たちは東京を代表する立派な(派手な)モニュメントにしたいと言っているようだが、あんな建物を今の明治神宮外苑に建てたら、建築家の磯崎新が指摘した東京の5つの“粗大ゴミ”文化施設(東京芸術劇場、東京都庁、江戸東京博物館、東京都現代美術館、東京国際フォーラム)を上回る史上最悪の粗大ゴミになりかねない。

もっとシンプルかつ環境に優しい競技場にしてもらいたい。

新国立競技場
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/

木曜日, 9月 26, 2013

新・国立競技場建設を注視する

新・国立競技場のデザインはイラク生まれのイギリス人建築家ザハ・ハディドの作品をグランプリ(最優秀)として採用することになった。↓

http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/first.html

新・国立競技場は来年2014年夏より現在の競技場を取り壊し工事を始め、2015年秋ごろに着工を開始てして、2019年のラグビーワールカップまでに完成を目指している。計画では新・競技場は8万人収容規模の大きさになり、陸上競技だけでなく、サッカー、ラグビー、コンサートなど重層的なプログラムに対応する設計がなされるという。

しかし、疑問である。本当に陸上競技だけでなくサッカーやラグビー、コンサートなどの重層的なプログラムに対応できるのだろうか。上記のデザインを見ると、サッカーをしているときやコンサートをしているときには観客席がトラックまでに迫り出しているようになっている。しかし、こんな大きな施設でこのようなことが可能なのであろうか。

仮に可能だとしても、オリンピック後のサッカーの国際試合やJリーグの試合で利用されるときに観客席がサッカー専用に必ずなるのであろうか。移動するのにお金がかかるから行わないと言わないだろうか。

なぜ、私がこのような危惧をするかといえば、日韓ワールドカップのときに横浜にサッカー専用競技場を作るという話があったのに、実際に出来上がったスタジアムはサッカー専用競技場でなく陸上競技場であったからだ。また、ザハ・ハディドの作品は見栄えのデザインはよくても設計不可能というものも多いらしく、実際には違うものができたりすることがあるからだ。それゆえに、私は今後もこの新・国立競技場建設計画は注視していきたいと思う。

とこのようなことを考えていたら、違う意味で疑問を呈する専門家がいた。

「神宮の森 美観壊す」 20年五輪 新国立競技場巨大すぎる
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013092302000121.html

水曜日, 9月 18, 2013

叔父が作った復元地図で神楽坂・矢来町散歩

先日神楽坂へ食事に行ったとき、亡くなった叔父(母親の弟)がクラス会のために作った「復元・昭和10年頃の愛日小学校界隈」という地図をもとに神楽坂から牛込矢来町方面へと散歩してみた。その地図には下記のような文章も添えられている。

「この地図は新宿区歴史博物館で所蔵の昭和6年版牛込区地図、昭和35年版住居地図を見つけて、その写しをとって下図を作り、現地を数回歩き回って作成しました。(中略)手書きの地図ですが、もう60余年も前の記念として頂ければ幸いです」(1996年10月12日 愛日竹乃会 久保田誠)

そして、地図には昔の建物やお店など共に当時のクラスの人々が住んでいた所在地も記されていて、当然ながら叔父(一級建築士だった)や母親が住んでいた場所も記されていたので、そこを訪ねてみた。

愛日小学校は都内でももっとも古い小学校のひとつで、前身は1870年(明治3年)7月15日に牛込筑土八幡町にあった吉良家の菩提寺でもある万昌院に設けられた東京府小学第三校(後の吉井学校となる)。それが1880年(明治13年)7月31日に牛込柳町にあった市ヶ谷学校と合併して、愛日学校として創立された。で、その旧校歌は次のようなもので、母親は今でも歌える。(笑)

1.初めはよしゐ 市ヶ谷の
  二校合わせて 名づけたる
  わが愛日の小学校 柱は強く門広し

さて、訪ねた場所は矢来町のちょっと込み入った住宅街のなかにあったが、現在は駐車場(矢来町パーキング)になっていて、昔の面影は何もなく、ただ叔父や母親たちはここに住んでいたんだなあと思うしかなかった。広さは100坪ぐらいだっただろうか。

ただ、この地図のなかに書かれていた「酒井さんのお屋敷」(若狭小浜藩酒井家下屋敷跡・旧酒井伯爵邸)という広大な敷地がどうなっているのかをちょっと知りたくなり、そこまで足を伸ばすとそこは矢来町ハイツという幾つもの棟からなる立派なマンション群となっていた。

みなさんも、もしクラス会や同窓会などで幹事をやるときは出身校近辺の復元地図を作ってみて、そこに誰々があった家とか記したりして配ると喜ばれるのではないだろうか。

月曜日, 9月 16, 2013

2020東京オリンピックを開催するならば

何度でも書くが、私は日本へのオリンピック招致は賛成だが、東京への招致は反対である。理由は東京に一極集中する中央集権的体制が好ましいことではないと思っているからだ。しかしながら、「お・も・て・な・し」という「“表なし”だから“裏があり”」というロビー活動や、安倍首相の国際的嘘八百のおかげで、2020年オリンピックは東京開催に決まってしまった。

開催が決まったのだから、御用マスコミはそれに従うべきだの、ネットウヨはそれでも反対する人は“非国民”だのと言っているが、果たしてそれが正しいのだろうか。否である。所詮は虚偽と虚構で獲得した開催なのだから、都合のいいようにネジ曲げた論理にすぎない。

ならば、開催を機に日本政府は原発を含めたエネルギー政策を見直すとか、観光庁は海外からの観光客を広島や東北へ「お・も・て・な・し」観光するとか言えないのだろうか。また、東京都はこれから作る新しい施設および修復する施設には、暑さ対策のための最新鋭ソーラーパネルを貼り巡らすとか、なぜ言わないのだろうか。そうでないと、新しい施設は過度な維持費のかかるエネルギー消耗物件になってしまわないか。

二枚舌三枚舌で獲得した2020年東京オリンピック開催。私は東京都民として、これからも表も裏もない素直な考えをビシバシと書かせてもらう。

月曜日, 9月 09, 2013

大政翼賛会、大政原発会、大政五輪会

私は以前より日本へのオリンピック招致は賛成だが、東京への招致は反対であると言ってきた。理由はなんでもかんでもが東京に一極集中する中央集権的体制が好ましいことではないと思っているからだ。東京に物事が集中すると、地域格差が生まれ、それは結果的に少子化・過疎化防止を大きく妨げるからである。また、個人的に1964年東京オリンピックが開催されたときに町が変貌していく様を目の当たりにして、いい印象と思い出がないということもある。

それゆえに、今回の東京開催招致は震災・福島原発などもあり、もってほかだと思っていた。ところが、2020年のオリンピックは東京開催となってしまった。そして、安倍首相は「原発はコントロールされている」「健康問題については、今までも現在も将来もまったく問題ない」といった無責任かつ脳天気な発言を連発して、呆れかえざるをえなkった。

現実はどうであろうか。誰もが知っているように毎日汚染水のタンクは増え続け、使用済み核燃料も未使用核燃料もいまだに取り出すことはできず、プールのなかに宙づり状態のままなである。こうしたいつ何が起きてもおかしくない危険と隣り合あせの状況下で、また10数万人という人が今も避難を余儀なくされているのに、よくもコントロールされているだの、健康に問題はないなどと言えたものである。政治家の嘘八百は恐ろしい。

そして、マスコミは日本中の誰もがオリンピック開催を祝っているなどと言っているが、私のように祝ってない人は何百万人といるはずなのに、そうした人たちの声を紹介することはまったく行わない。戦争を推進した大政翼賛会、原発を推進した「政官財学マ」の大政原発会、そしてオリンピック開催を推進した「政官財スマ」の大政五輪会。いまやマスコミは翼賛会の広報機関でしかない。そして、決まったらそれに従え、長いものには巻かれろ的に煽動する。もはや日本のマスコミにつける薬はないようである。

日曜日, 9月 08, 2013

さんまは目黒に限る、目黒でさんまを食べよう

以前にも書いたが目黒には2つのさんま祭りがある。1つは品川区側の目黒駅前商店街が行うもの、もう1つは目黒区側の目黒区が行うものがある。この2つはうまく共存しているように見えたり、まるで対峙しているようにみえて不思議な関係である。

で、そのへんの誤解というか融合のため新たなキャンペーンを行ってはどうだろうか。題して「さんまは目黒に限る、目黒でさんまを食べよう」である。

つまり、目黒という地名に由来するところならば(まあ目黒駅周辺とか中目黒駅周辺だろうが)の商店街や飲食街が大々的に「目黒川の桜」ではないが、町おこしの一環として全国津々浦々の人に、さんまを食べるために目黒に来てもらい「やっぱりさんまは目黒に限る」と言ってもらえるようなおもてなしをしてはどうだろうか。もちろんさんま祭りのような無料配布とは無理としても、安く提供して飲んで食べてワイワイやれればいいのである。

ということで、これが今年私が食した目黒のさんま2尾である。(^_^)




金曜日, 9月 06, 2013

ネトウヨを情報操作・煽動する人々

「ネット右翼」という言葉が使われはじめたのは2000年代半ばからであるが、その略称である「ネトウヨ」という言葉が定着しだしたのは、この2〜3年ではないだろうか。

では、このネトウヨという人たちはどういう人たちなのかとなると、これには諸説いろいろある。もっとも多く言われるのが、社会生活の負け組もしくは引きこもりの人たちという説である。つまり、収入が低い人はお金を使って遊ぶことができないために、また引きこもりの人は他人との関係をうまく築けないことなどによって、そのハケ口をネットに依存して、そこで「他人の意見など聞く耳をもたない」的に好き勝手な言動を “匿名” で書くことによって、ウンプンを晴らしているというものである。

次に言われるのが、民主党政権を樹立させた左翼マスコミに対する怨念というか、左翼エリートに対する反発をやはり“匿名”で書き綴っている人たちという説。また、韓国や中国を訪れたこともないのに、反日的行動をとる韓国や中国に対して、嫌韓・嫌中・愛国を標榜する人たちなどという説もある。

この他にもいろいろな説があるが、こうした説に関して、私は以前よりかなり懐疑的で、そもそも現在のネトウヨは創作・操作されたものではないかと思っていた。そして、それに近い証拠が表れるかもしれない。というのもの、先日、2ちゃんねるのユーザーの個人情報3万件あまりが流失したが、そのなかの「優待」会員に、新聞社、テレビ局、宗教団体、政府機関、政党・団体などの人間が多くいると推測されはじめたのである。

「嘘も100回つけば本当になる」なんて言葉がある。例えば「アベノミックスは経済再生の特効薬」と100回言えば、それは本当のように思えてしまう。しかし、実際はどうであろうか。「原発抜きで日本のエネルギーは成り立たない」と100回も言われたが、実際はどうであろうか。先日も書いたが、東京電力管内は猛暑にもかかわらず、原発抜きで夏を乗り切ろうとしている。いかに、政府やマスコミが言っていることが嘘八百であるかがお分かりであろう。

ネットは“匿名”なことによって発展したが、逆にネトウヨのような責任の所在のない得体の知れない副産物をも生んだ。しかしながら、このネトウヨも悲しいかな、どうやら一部のマスコミ、政党、宗教団体などによって世論操作および煽動している人たちおよびそれに便乗している人のようである。

火曜日, 9月 03, 2013

柳の家の三人会@めぐろパーシモンホール

昨日(2日)めぐろパーシモンホールで開かれた「柳の家の三人会」を聞いてきた。出演者と演目は下記の通り。

柳家小かじ 『道灌』
柳家三三  『お化け長屋』
 〜 仲入り 〜
柳家喬太郎 『夜の慣用句』
柳亭市馬  『妾馬』

「柳の家の三人会」というのは柳家小さん一門の会である。基本的には柳亭市馬、柳家喬太郎、柳家花緑、柳家三三の4人で構成されているようで、この日は花緑が降り番で市馬、喬太郎、三三の3人会という形になった。

開口一番の柳家小かじ。落語協会のプロフィールによると、柳家三三に入門して、2013年つまり今年の2月1日に前座となった1年生。というわけで、頭はピカピカではないにしろ坊主頭で登場。滑舌は非常にいい。ただ、落語としての上下への視線の配り方、仕草や掛け合いなどにはまだまだ勉強の余地がいっぱいありそうである。

柳家三三は落語協会会長の柳家小三治の愛弟子であり、間違いなく次代を担う逸材。『お化け長屋』は正統派古典落語を目指す落語家なら誰もが一度は演じる噺で、演じ手の個性が非常によく表れると思う。三三の『お化け長屋』は展開も早く、話のもっていきかたも上品でスマート。ただ、その分泥臭さがなく長屋の雰囲気というか情景描写が少し乏しいのが残念。

この日の柳家喬太郎はノリノリだった。場所が彼自身が生まれ育った東横線沿線ということもあり、枕でいろいろな駅(都立大学、渋谷、高島町、代官山、そしてなぜか和光)の話で脱線のオンパレード。渋谷駅の悪口で沿線住民が多かったお客の心を掴んでからは、自身の代表作『夜の慣用句』の最後まで一気に走りつづける。その様はどことなく昔の林家三平を彷彿させ、彼独自の世界を確実に築きあげてきている。

柳亭市馬の枕はBS-NHKで放送された立川談志のドラマで師匠・柳家小さんを演じた話から始まり、小さんと談志の仲までを語る興味深い話。そして、本題の『妾馬』は登場人物(八五郎、大家、門番、三太夫、お殿様)を時代描写を交じわえながら見事に演じ分け、古典落語の王道を聞かせてくれる。さすがに上手い。できるならば、最後に少しだけ聞かせてくれた都々逸をもう1〜2声聞かせてほしかった。

柳亭市馬は52歳、柳家喬太郎は50歳、柳家三三は少し若く39歳。30何人いたという小さんの弟子と、何人いるか分からない孫弟子たちのなかでも花形の3人だが、黄金の60代(柳家さん喬、五街道雲助、柳家権太楼、春風亭一朝など)に肉薄するような実力を発揮。今の落語界の充実ぶりを感じさせる落語会だった。

最後に以前にも書いたが、パーシモンホールは寄席向きのホール(昨日も650席ある1階はほぼ満席)なので、定席とはいわないまでも2〜3ヶ月に1回の割合で「柿の木坂寄席」とか「柿の木坂名人会」という催しを開いてもおかしくないだろう。

月曜日, 9月 02, 2013

大掃除は果てしない

自宅はさほど広くはない。80平方メートルもない。本当は100平方メートルぐらいは欲しい。というのも、あまりにもいろいろなものがあるから、収納だけの部屋が欲しいと思ってしまう。しかし、家を拡張する余裕などない。ということで、少しでも家を広く感じられるように、家にある必要のないガラクタを廃棄することにした。大掃除である。

大掃除は1週間ほど前から始めた。毎日ちょこまか行っている。時間にすれば1日1時間から1時間半程度である。それでも結構大変だ。慣れないことをするというものは疲れるものである。

大掃除は情け無用の非情でなくてはならない。戸棚のなかに仕舞われているものなどをどんどん仕分けしていく。必殺仕分け人である。これまでに、大きなゴミ袋7〜8個分の不用と判断されたものが清掃車に引き取られれていった。それでもまだまだ片付いたという感じではない。まだまだ手付かずのものがいっぱいある。雑誌、チラシ、パンフなどの紙類の処分が残っている・・・。

とにかく、ゴチャゴチャした自宅からオサラバしたい。シンプル・イズ・ベストにしたい。大掃除は果てしない。果たして終わりはあるのだろうか。